永信寺について

永信寺

055-921-9004

〒410-0051 静岡県沼津市西熊堂512

営業時間 / 9:00 〜 17:00

永信寺について

静岡で永代供養をお探しなら宗教法人「永信寺」

永代供養など仏事の疑問にお答えします

静岡の沼津にある宗教法人「永信寺」では、永代供養をはじめ葬儀・法事などについて何でもご相談を受け付けております。
普段は馴染みがなく判断が難しい仏事のさまざまなことについて、丁寧にお答えすることが可能ですので、わからないことや不安に思われることがありましたら、どうぞお気軽に静岡の「永信寺」までお問い合わせください。
静岡の当寺院ではとくに永代供養の問題のご相談が多く寄せられています。
静岡に限らず全国規模で核家族化が進んでいる現代において、お墓の問題は決して無視できないものになっています。
「自分たちが死んだあと、お墓を守ってくれる家族がいない」
「一人で入れる永代供養のお墓はないだろうか」
そのように永代供養についてお悩みの方は、ぜひ静岡の沼津市にある「永信寺」にご相談ください。
「永信寺」は、智了院日生大徳が万治3年(1660)頃に永信院日心大徳開堂の小堂を再興したのが始まりとされる、長い歴史を持つ由緒正しい寺です。
静岡の沼津周辺にお住まいの方を中心に、永代供養・葬儀・法事・厄除けなどあらゆる仏事についてのご相談に対応しております。
将来のことを見据えて、静岡の周辺で永代供養を真剣に検討したいとお考えでしたら、一度「永信寺」までご相談いただければと思います。

智了院日生大徳が永信院日心大徳開堂の小堂を再興・公称

万治3年(1660)の頃だといわれている

永信寺外観

永代供養を静岡の沼津周辺でお考えの方からのご相談に応じている宗教法人「永信寺」は、大変長い歴史を持つ寺院です。
『法華宗年表』によると、万治3年(1660)頃に智了院日生大徳が永信院日心大徳開堂の小堂を再興し、公称したのが「永信寺」の始まりであるとされています(火災で多数の書類を焼失してしまったため確かなことは不詳です)。

明和3年(1766)に旧庫裡が再建

静岡での永代供養を承っている「永信寺」の旧庫裡が再建されたのは、明和3年(1766)のことです。
開基上人は静岡県沼津市上石田の井口家の出身である日心大徳です。
それ以降、実に長きに渡って「永信寺」は地域の方々とともに歩んでまいりました。
永代供養のご相談がありましたらぜひお気軽にお越しください。

境内の供養塔で西熊堂村の偉人・山田源次郎翁が眠る寺院

沼津の村人のため、一揆をおこし藩主と戦った偉人

山田源次郎のお墓

「永信寺」は現在、静岡で永代供養のことを相談できる寺としてたくさんの方にお越しいただいておりますが、その境内には宗祖日蓮大聖人の供養塔、そして駿河国駿東郡(現在の沼津市)西熊堂村の偉人である山田源次郎翁のお墓があります。
山田翁は、領主の取り立てが厳しく生活が困窮していた沼津の村人たちのために、寝食を忘れて領主と戦った偉人です。

永代供養のご相談にお越しの際はぜひお参りを

山田翁は沼津の住民を助けるために奔走したため、自分自身の生業は後回しとなり、その妻子もまた苦しみました。
それでも山田翁は住民のために戦い、やがて投獄され命を落としました。
永代供養のご相談などで静岡の「永信寺」にお越しになった際は、ぜひ山田翁のお墓にも参っていただければと思います。

法華経を守護する「諸天善神」

三光天子、十羅刹女、三十番神・右大臣・左大臣

永信寺の提灯

「諸天善神」とは、法華経の行者を守護する善神様のことを指す言葉です。
日天子・月天子・明星天子の総称で、天から光をもって守ってくださる神様である「三光天子」、子どもに関係の深い神様「鬼子母神」、その子「十羅刹女」、そして1日から31日までひとりずつが日々の安穏を守ってくださる「三十番神・右大臣・左大臣」がいらっしゃいます。

「鬼子母神」様へのお参りも静岡の当寺院へ

「鬼子母神」様は安産や産まれた子どもの健康、そしてなかなか子どもを持てなかった方が子を授かるなどといったご利益のある神様です。
実際に静岡の「永信寺」では、祈願をしていたら子を授かった、という声をいただいています。
永代供養のご相談に加え、なかなか子に恵まれずお悩みの方のお越しもお待ちしています。

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〒410-0051 静岡県沼津市西熊堂512
営業時間 / 9:00 〜 17:00

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